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写真部という“場”
ぼくは“場”というものに興味がある。

サードプレイスという言葉を聞いたことはあるだろうか。
そのまま訳すと、第3の場所。
ここでいう第1の場所とは、自分の家。
第2の場所は、学校や仕事場をさす。

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「人間は、形式張らない社交の場に集い、仕事や家庭の問題を忘れくつろいだ雰囲気で話をしたいという欲求を持っている。ドイツのビアガーデン、イギリスのパブ、フランスのカフェは、日常生活の憩いの場だ。そこはニュートラル・グラウンド(中立地帯)であり、社会的地位はさておき皆が平等に扱われ、会話が主たる活動となる。
 アメリカでも、かつては居酒屋、床屋、美容室などがそういう場所だった。だが、郊外化の進展とともに、これらの場所は姿を消しはじめ、自己充足的な郊外型住宅に取って替わられた。こうした場所がないため、都市生活の本質であるさまざまな関係や人との多様な接触が欠落することになる。この欠落の故に、人々は群衆の中にあって孤独な状態にとどまっている。」 
(「スターバックス成功物語」で引用された“The Great Good Place”)

これはアメリカの社会学者の言葉。
日本においても同様なことが現に起こっていると思う。

たとえば、あるお店に行って、他のお客さんはともかく、お店の店員さんとも全く喋ることなく帰ってしまう。

これって人間らしい生活をしていると言えるのだろうか。

もちろん、効率よく、しかも安価に買い物を済ませたいニーズがあるし、それを否定するつもりはない。

ただ、ふだんの生活のなかで「最近、どう?」とか、ざっくばらんに会話できる“場”が少ないと感じているのは、ぼくだけではないはずだ。


人間誰もが人と関わりたい欲求、関係性欲求というのがあるらしい。
ぼくのことを見てほしい。ぼくの話を聞いてほしい。
あなたの話が聞きたい。あなたのことが知りたい。
たしかにぼくの中にもある。

一方で、
こんなぼくを受け入れてくれるだろうか。
ぼくが周りに影響を与えられるものなんてあるのだろうか。

常に不安な気持ちがつきまとう。
自分の未熟なところばかりに目がいってしまって、他人と交わりたいという気持ちに歯止めがかかってしまう。

そんなときには、「今の自分は、こんなもんや」と堂々としてればいいと思う。
たまには自分のマイナス面を、ぼそっとこぼしたっていいと思う。
あるがままの自分をさらけ出したら、きっと周りの人は耳を傾けてくれる。

そうやって他人と交わることによって、すこしずつだけど、
自分に足りないところや、自分の伸ばしたいところや、自分がやりたかったことが
以前よりはクリアに見えてくる。

周りの人とつながって、パワーをもらって、トライしてみて、失敗して、へこんで、
また話を聞いてもらって…

そんなことを繰り返し、自分の歩むべき道をつくっていきたい。
人間として成長していきたい。

なんだかおおげさなことを書いている。
いや、書かせてもらっている。
今回で言えば、写真部で一緒に活動しているホッチさんがきっかけを与えてくれた。


真剣。

ただ、まじめだけじゃない。
ただ、楽しいだけじゃない。

相手と向き合うこと。
それは、自分と向き合うことでもある。

真剣に取り組むためには、人と人がつながる“場”が必要だ。

写真部はそのような場所にしていきたい。


写真は一瞬の光を切り取る作業だ。

一瞬の光に心が動いてシャッターをおろす。

それは、その人だからこそ感じることができたかけがえのないもの。

写真部メンバーの作品を見ると、同じ日に同じところにいたのに、その切り取り方の違いにいつも驚く。

メンバーそれぞれの生活体験や記憶、思想や知識、好みなどが違う。当然のことだ。
だから、同じものを見ても、その人の中で想起された“心の中にできあがる姿”は同じとは限らない。

それでいいのだと思う。
そこに、おもしろさや楽しさがあるのだと思う。

周りの人の多様性を受け入れて、自分を外の世界に放り出していく。

写真を撮る。会話をする。文章を書く。

写真部での行動を通して、みんなのアウトプットがうねりを起こす。

一瞬の光が、永遠に輝くそれぞれの人生の指針になると信じている。


# by kz1451 | 2012-02-12 23:42
電車の旅2012冬
どうやら電車の旅がいいみたい。

各駅停車の普通列車。
ゆっくりしてるから、どんどんカッコいい名前の付いたやつらに抜かれちゃうんだけどね。

旅先での自由時間を少しでも多く確保するために移動時間を短縮することは大切だけど
移動時間も旅を構成する大事な要素。

スピード感がポイントのよう。知覚がなんとか追いつく。
都会から地方へ、山間から平野へ、川から海へ、
境界はあいまいのままでいい。
それぞれ1枚につながっているのを感じとりたい。

次の目的地へ向かう車中は、旅の行程を見直す時間でもある。
この時間が楽しく、ときに悩ましい。

普通列車だから特に地方のほうでは本数が少ない。
今日はこの駅までは行きたい。
その途中にあるA駅とB駅は寄りたい。
だけど、時刻表からいくつかの組み合わせを考えてみると
いい感じで乗り継げそうなものがない。
駆け足で二つとも立ち寄るか、それとも今回は一つに絞るか...。
この悩ましい気持ち伝わっているでしょうか(笑)

このようにぼくの旅は往々にして制限がかかる。
「移動時間がかかる、スムーズにいかない」のが制限。
でも、これが旅の密度を高めてくれる。

このハードルをなんとか工夫して想像力を働かせて乗り越える。
しかもその過程を楽しみながらやっちゃえ!というのがぼくの旅のテーマ。

もちろんぼくひとりのチカラには限界がある。
だから、人の手を借りる。地元の人と交わる。
少し緊張するけど、、話かけてみる。
すべてはうまくいかないけど、なかには良い出会いも。

旅先には訪れてみたい場所がある。
そこには必ず人がいる。それを忘れちゃいけない。















# by kz1451 | 2012-02-02 22:57
夏の終わりに思うこと
愛機ニコンFM2で撮ったフィルムの現像が仕上がってきた。
「あっ、そうそう。」
そこには、この夏の、その空気感までもが、閉じ込められていた。

時間をおいて写真が手元に届く喜び。
待つことは、嫌いじゃない。むしろ最近では、贅沢なことだなと感じる。待っている時間を楽しんでいる。

世の中のシステムは、待つことを良しとしないことが大半だ。自分が意識しないと待たしてくれない。
もちろん即時的・効率的に事を運ぶことは大切なことだから否定するつもりはない。
でも、なかには待つ時間の中でしか感じられない見えてこない何かがあるように思う。














# by kz1451 | 2011-10-01 10:08
知らない世界の探求(後編)
♪7時ちょうどの〜あずさ1号で〜
向かったのは、清春芸術村
これ以上ないピーカンな天気にも恵まれ、光の美術館のすばらしさを体感。

次に訪れたのは、八ヶ岳倶楽部
雑木林を散策。胸いっぱい空気を吸い込む。気持ちいい。
スタッフさんが仕事の話をしながら、葉っぱをむしっていた。
日々の手入れが積み重なっている。

その後、電車で移動し、諏訪湖の近くで宿泊。
湖がすぐ近くに感じられる。夕日をいつまでも見ていられる。

最後に、名古屋のノリタケの森へ。
近代化産業遺産。
人の魂が入っている建築物は、役割を変えても人を引き寄せるチカラをもつ。


旅で新たな世界を体験したら、ふつふつと感情がこみあげてくる。
歩くこと、想像することをやめなければきっと道がひらかれると信じています。













# by kz1451 | 2011-09-29 22:18
知らない世界の探求(前編)
少し遅い夏休み、、
まず向かったのは横浜。
開催中の現代アートの国際展「横浜トリエンナーレ」へ。 
その特別連携プログラムである「新・港村(しんみなとむら)」と
「黄金町バザール」にも行ってきました。ホームページこちらから

次は何が待っているんだろうとワクワクワク。
現在進行中の現場もあって、ここから新たな何かが生まれる雰囲気が漂っていました。

あるディレクターが、アートは点を打つことだと言っています。
点を打つことでその周りにいる人々のクリエイティビティを換気し、社会を成長させていく。
これがアートの持つ機能であると。

自分が知らない世界に入っていくことは少しの勇気が必要だけど、
アートが、未知なる世界に対するひとつの扉、あるいはヒントになると感じました。

時間があれば、ぜひ現地に行ってみてください!
おすすめは挙げればきりがないですが、
クリスチャン・マークレーの作品「The Clock」はスゴイです。










# by kz1451 | 2011-09-27 00:05
人が集うプラットフォーム(出雲編)
さきほどのブログを書いていたら思い出したのが出雲にある大社駅。
もう廃駅になっていて人が行き交うことはないんですが、
地域の方々が今もなお大事に使い続けています。
買い物をしたり、こどもたちが絵を描いたり、その光景はとても温かなものでした。





# by kz1451 | 2011-07-03 01:01
人が集うプラットフォーム
地元八尾にある近鉄の信貴山口(しぎさんぐち)駅。大好きな駅舎のひとつ。

乗降する、乗換えするための駅だけど、たまには足を止めてみるなんていいんじゃないでしょうか。
人が行き交う場所から、人が集う場所へ。
たとえば、プラットフォームで音楽のコンサートしてみたり・・と勝手に想像を膨らませています。

建物や空間がいいなと思う瞬間は、人それぞれですよね。
音楽のコンサートをすれば、そのアーティストの魅力と相まってかもし出されるものかもしれません。

そこに人が入ることによって、活動することによって、もともと当たり前にあったものを違う角度から
見ることができて、魅力的に映ることがあるんだと思います。




# by kz1451 | 2011-07-03 00:14
HY(3)ファインダー越しに見た“まち”  
ファインダー越しに見た“まち”       

 ここで言うファインダーは、カメラに付いているそれをさすものではありません。カメラが嫌い?いえいえそんなことありません。むしろ好きです。大好きです!まち歩きの際にも大活躍で必需品になったぐらい。少し脱線しますが、ぼくのカメラは、リコーのGRデジタルⅡ。広角28mmは、人間の視角より若干広いと言われていますが、街並みを描写するにはもってこいです。うまく言えませんが、なんともおさまりがいいんです。
 さてさて、ハナシを戻しまして・・。自分の実感を大切にしながら、カメラで撮りたいものを撮る。それも楽しいことなのですが、今回のまち歩きを通じて、別の楽しみ方を発見しちゃいました。ポイントは、“みんなで一緒に”取り組んだところにあるようです。
 みんなでまちを歩いていると、「ぼくが見ているまちと、あなたが見ているまちは同じようで同じでない」と気づかされます。街並みなどの実態は、誰の目にも同じように映っているはずなのに、評価するとなると異なることがしばしば。ぼくにとってなんてことないことが、ほかの誰かにとってはめっちゃ気になることだったりします。
 これはある意味当然のことなのかもしれません。なぜなら、メンバーそれぞれの生活体験や記憶、思想や知識、好みなどが違いますもんね。だから同じものを見ても、その人の中で想起された“心の中にできあがる姿”は同じとは限らない。
 では、まちについての評価が異なるのはいいことなのでしょうか。何度か「まち歩き」をしてみたなかで、ぼくはいいことだと思えるようになりました。評価が多様に存在すること自体がすばらしいことであり、そして、その中から「みんなの共通意識とは何なのか」ということを探り出していければ、おのずと“まちらしさ”がみえてくると考えています。また、そこには“楽しさ”というやつが潜んでいるとも感じています。「へぇ~、あの人はあれを見てあんなふうに感じることができるんや~。おもろいなあ。」というぐあいに。
 こんなふうに思えるようになってからでしょうか。カメラのファインダーを通して見るまちよりも、周りにいる“人”を通して見るまちのほうに興味がシフトしていきました。つまり、ぼくにとってまちを見るための、まちを知るためのファインダーは、“人”そのものなのです。
 ですから、「まち歩き」のときには、ほかのメンバーが何を撮っているのか、何をつぶやいているのかなど、興味を示しているものを見つけては、(もちろんできっこないですが)その人になったつもりでまちを見てみます。いろんな人を通して、いろんな角度からまちを見る。“みんなで一緒に”取り組んだからこそできたことです。
 以上のことは、研究して研究してぼくが気づいたというカンジではなくて、自然とそうしていたという表現のほうがしっくりきます。「まち歩き」をはじめた当初は、何のためにするのか、どんな成果が得られるのかとよく考えていました。何をするにしても事前によく考えて、それをする価値があるのかないのか判断することがあると思います。もちろん、それも大事なことだと思うのですが、一方で、今回の「まち歩き」のように、何かよくわからなくても、無目的でも、とりあえずやってみることが大事な場合もあると知りました。そのように感じさせてくれたのは、「それっておもろいなあ」と言ってくれる、多様性の理解を原点にもった、いつでも楽しむことを忘れない “ゆかいな”メンバーがいたから。そのあたたかな光に導かれて、ぼくは活動をはじめることになり、今も続けているんだなとそう感じています。



# by kz1451 | 2011-06-27 00:02
HY(2)視座について
みなさんは、「視座(しざ)」という言葉を聞いたことありますでしょうか。

事典などで調べてみると、「物事を見る姿勢や立場」となっていますが、ごくごく簡単に言ってしまえば「モノの見方」ということです。今回の研究会では「視座の共有」といった表現で使用しました。

視座については、地理学者であるオギュスタン・ベルクが興味深い仮設を提示しています。「絵画や詞歌などによる「教育」を通し、単なる環境が“風景”となる」といういわゆる“風景生成モデル”の一例です。このことは、風景そのものが社会的評価を獲得すること自体が、対象の直接的な操作・改変のみならず、風景を見る側の「モノの見方」すなわち「視座」の付与ないし転換によっても成立することを意味しています。(下図参照)

今回の研究会の活動に即して言えば、当初「単なる環境」であったものが、たとえばその地域の歴史的な背景について解説(視座の啓発)を加えながら、みんなでまち歩きをすることによって「価値ある風景」として参加者に認識されるということがありました。

ここでおもしろいのが、物理的には実態は何も変わっていないが、それを見る人の見方、言い換えれば視座が変わっているということ。見方(視座)をもつことで日常のなんてことない風景がおもしろいと思えるようになったら、またそれがみんなで共有できるとなれば、景観の価値が社会的に増えることになる。いいものをつくって景観デザインをしていくのもいいが、それと同じくらい価値があるものかもしれない。埋もれていくものを見つけて、価値をつくりあげることができないだろうか?というのが、研究会の中心的議題になっていきます。

尼崎運河クルージング
# by kz1451 | 2011-06-26 22:59
HY(1)カタチになった!

できたー。
2年間の活動がここに。
やっぱりカタチになるとうれしい。

東大阪・八尾広域研究会(愛称HY)。
研究会というくくりでやってますが、小難しいことは一切なし。
「まちを楽しむ、好きになる、広めていく」ことに主眼を置いてワイワイやってます。
タイトルにもあるように、まちを流れるリアルな空気を体全身で感じ取ろう!というのが
基本姿勢になっています。

何を実践したかと言えば、まち歩きをしました。
まち歩きとは、字のままで、まちを歩くことです。
ただ、ひとりでするのではなく、できるだけ多くの人と一緒するのがポイント。
一緒に見て、聞いて、食べて、、

その過程で、気づいたことをつぶやいて、それを周りのみんながちゃんと受け取る。
自分の「気づき」がみんなの「気づき」へ。
多様性の理解を原点に持つことが大切になりました。


アウトプットするってやはり大事なんだなと思う。
とりあえず見えるカタチにする。そこから少しずつ修正していけばいい。
周りに共有してくれる仲間がいればなおのこと。ひとりでかかえこまない。
頭の中だけでごちゃまぜにするのではなく、どんどん外の世界に出していこう!

・・ということで、このブログも引き続きお付き合いのほどよろしくです(笑)
# by kz1451 | 2011-06-22 23:36
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